日本の製造業は1980年代後半に始まった円高を、
最初は生産ラインの自動化で乗り切ろうとしたが、
政治的な配慮もあって、やがて生産拠点の海外移転軸足を移していった。
日本メーカーの海外生産は消費地に近い
アメリカ、ヨーロッパから始まったが90年代の後半になると
中国シフトが起きた。
電機メーカーなどは投資がかさむアメリカ、
ヨーロッパや日本の自動化ラインを捨てて、
中国に安い労働力をフル活用できる人海戦術の生産ラインを作った。
この間、国内では労組が弱体化し、
企業は業務請負や人材派遣を多用し始める。
働くことに対する若者の意識も変わり、
好きな時に働いて好きな時に休む「フリーター」が
もてはやされるようになった。
2000年代に入ると、
日本メーカーは中国で品質の壁にぶち当たり、
「国内回帰」に舵を切る。それを可能にしたのが、
中国の工場と戦えるレベルまで人件費を引き下げる請負、
派遣の活用だった。そして、日本は非正社員に依存する
抜け殻企業だらけになった。それは製造部門だけでなく、
事務部門や流通、サービス業にも波及し、
あらゆる分野で品質を低下させた。請負・派遣依存の最大の問題は、
起業が人を育てなくなったことだ。
切りたい時に切れる労働力に味をしめた経営者は長い時間をかけて
人を育てる労を厭うようになった。
かつて「世界一」と畏怖された日本企業の人材力は内側から瓦解した。
