
【資格・肩書】
社会保険労務士登録番号
第06870002号
行政書士登録番号
第92070224号
マーケティング・コンサルタント
上場企業・中小企業の労働者としての20年の経験
(主として人事・労務担当)と
社会保険労務士業17年の経験を生かし、
「官の不当な仕打ちから中小企業を守る」視点から、
中小企業向けの労務相談。
サービス残業対策・社会保険料削減を
得意としている。
【加入団体】
山形県社会保険労務士会
山形県行政書士会
全日本労働問題研究会
社労士ネットワーク
山形県中小企業家同友会
1943年(S18年)
福岡県八幡市(現北九州市)の八幡製鉄所付属病院で生まれる。
病院が壊れるのではないかと思われるほどの
大きな産声を上げたそうです(母より)
1956年(S31年)
小学校卒業。思い出はよく廊下に立たされたこと・・・
小学校時代の小遣いは5円でした。
1959年(S34年)
中学校時代、授業開始前・昼休み・放課後、ソフトボールに熱中。
軟式野球部に入部を勧められ、調子にのって入部。でも体は硬く、
足は早くなく、「レギュラーにはなれない」と判断し、1年で退部
1962年(S37年)
福岡県立東筑高等学校卒業(先輩に、高倉健・仰木彬がいます)
1967年(S42年)
山口大学経済学部卒業 茶道部(1年の夏合宿まで)、
演劇部(キャストは2回のみ)に所属。文化会活動に注力し、
あまり講義に出ませんでした。
先輩に、大学は高校とは違って、試験は山をかけて、
山がはずれたら「本題はさておき・・・について述べる」として
自分の山をかけた部分をかけたところを書けば単位をくれると
指導を受けたので、それを真に受けたら、
そうは問屋が降ろしませんでした。
何とか4年で卒業できたものの、優の数が圧倒的に少なく、
思い通りの会社には就職できませんでした。
が、おかげさまで、つれあいと知り合う機会を得て、今の私があります。
1967年
株式会社緑屋(現クレヴィセゾン)入社10年在籍。
新入社員(池袋店)の頃は、担当地区を自転車で月賦の集金に走り回る。
集金の回収率が成績が悪かったとき、
上司に「何で悪いのだ」と言われ、
「私はこの区域、誰が受け持っても負けないくらい自信があります。
どこをどのようにしたら、今より成績が良くなるか教えて下さい。」と
言ったところ、
「オレはお前でないからわからない」と言われ、
あなたの仕事(課長)は、いい仕事ですね。私と入れかわりませんか。」
と応える。上司から何も反応はありませんでした。
ちなみに数年後、彼をわたしが監査で指導する立場になりました。
その後、店で、時計貴金属担当(北千住店)となり、
この店でつれあいと出会う。
労働組合支部書記長に推され、その後本社監査室配属。
全店(42店)を監査で回る、
監査の中で「事務課用の様式とその書き方」
「実地の棚卸しの手引」の作成にたずさわる。
今思えば、
このとき、社会保険労務士の業務を理解できたと考えています。
1970年(S45年)
結婚2児(女の子)に恵まれる。
1977年 (S52年) つれあいの実家へ。 いい経営者に恵まれず10年間数社を渡り歩き、このような状態を繰り返してもダメだと考え、国家試験 社会保険労務士の勉強を始め、運よく合格。すぐに(12月1日)開業。
1987年12月
西塔社会保険労務士事務所開業
「中小企業を官の不当な仕打ちから守る」姿勢をポリシーとしています。又、正確・迅速なサービスとニュースレター
「鵜の目鷹の目」を通じてタイムリーな情報を発信し続けています。
